3月 29th, 2012

仮設住宅
被災され余儀なくされた避難所暮らし、7ヶ月以上?、いや、それ以上の時間を
経て建てられ、多くの親戚や親類が女川、石巻の仮設暮らしとなっている。
期限はあと1年?、暑苦しく大きな蠅で苦しんだ“夏”
底冷えと結露で震えている“冬”。
建物の中に入れば壁は金属の化粧板1枚の壁、つなぎ目には梱包用テープで
隙間風を防いでおり、あるお宅では窓には梱包用のプチプチを貼っている。
4畳半にも満たない部屋が二つ、横幅3畳程の台所、小さなユニットバス、
そこに大の大人3人、4人と暮らしている。
ほとんどコンテナハウスに近い建物で、いくら津波で家を流されたと言っても
長期に渡り生活できる所ではない。ましてや大きな家に住んでいた方々が多い地域。
違った生活感に赤十字マークの付いた支援家電が妙に違和感があった。
家賃が無いからと言っても収入がない現状、支援で貰ったお金もそれそれに違いがありすぎる。

「この時期は牡蠣剥きで忙しい時期なのに、めかぶも始まっている時期なのに、
仕事でもあればね~気持ちも多少ちがうのにね~」
魚が上がっても加工工場が稼働していない実態、
安定される時は何時なのか?、正直、復旧もままならず復興なんてまだまだだ、
でも、誰もが顔を見れば喜んでくれる。そして表向きは明るく、
「みんな大変だから」
「あんだらも、無理して来なくてもいいから」と、そして
「あんだらしか、親戚はもういなぐなったちゃ~」と言われた言葉が辛く心に響いた。

仕事に疲れ、家に帰れば決して広いとは言えない我が家だが、暖かい部屋に
多少は広い風呂に入り、暖かい布団に入り眠る事ができるありがたさ。
「当たり前の事が一番幸せなんだでば、がんばらいよー」と
言われこの日、女川、石巻を後にした。
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3月 17th, 2012
今日のニュースで見つけた津波の話、女川町の沖に浮かぶ無人の島『笠貝島』、以前、妻の生まれた島へ行く時、女川からの離島航路で通り過ぎる島でもあり、天気が良く澄んだ日には女川の港からも見える。
この笠貝島で津波の高さが43メートルあり、震災で最大の高さであった事がわかった。43メートル?、建物では14階から15階の高さにもあたる。
亡き義理姉の葬儀の時の話で、船を沖だしした親戚のおんちゃんが『笠貝島が消えたんだ』と言っていた事を思い出した。
1年が過ぎ色んな事が解ってくる。
このうみねこは何を見て何を考えているのかな?
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3月 15th, 2012
もう1年なのか、まだ1年なのか?
3月11日(日)女川町主催の追悼式典、町の歌でもある『潮(うしお)の歌』では涙がでた。

(河北新報3月12日)
何もかも変えてしまった3月11日
直接関わる立場の人と、そうでない人との温度差は既に大きく広がっている。
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3月 5th, 2012
間もなく1年目を迎える3日、今だ見つからない親戚の節目としての葬儀と、義理姉の一周忌の為に女川町へ

女川の町は瓦礫がかたずいただけで何も進んではいなかった。

昨年のお盆に訪れた時から進んでいない故郷女川
誰もが経験した事がないあの日、あの時間が間もなく訪れる。
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5月 29th, 2011
震災から55日が過ぎた4月25日(月)の女川町の風景

中心部に入る浦宿、石巻線高架橋から直進する女川街道は荒立、丸山町付近の自衛隊による捜索のために一般車両は女川バイパスに迂回されていた。
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5月 26th, 2011
昨日女川から戻り、石巻、女川に7往復目。

1ヶ月前の記録に戻し、4月24日(日)震災から44日目、この日津波の犠牲となり、仮埋葬となった義姉の火葬が行なわれた。
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5月 15th, 2011
震災後情報が途絶え特に少なかった女川町の情報が1ヵ月を経た4月中旬になってメディアに多く上がり始めてきた。

この頃、どう言う状態で女川の街を津波が襲って来たのか探していた。同じ映像が繰り返し放送されていた中、唯一見つけた女川の様子である。
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5月 11th, 2011
今日5月11日で震災から2ヶ月が過ぎようとしている。
さまざまな思いを振り返り、回想しながら震災1ヶ月目から遅れて書きはじめいるこのページ。
季節が進み日常が戻りながらも2ヶ月では日常が戻らない現実。
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5月 7th, 2011
4月7日(木)震災27日目、23時32分、携帯電話の緊急地震速報が鳴り、同時にTVで地震速報が、と、同時に「ゴー」と言う地鳴りが聞こえ「ドーン」と突き上げる大きな縦揺れが襲ってきた。
妻の兄弟が集まる石巻の実家、亡き妻の父の火葬を済ませ、昨日に続き、この日も親戚が避難する女川町の避難所へ行き、そして未だ見つからぬ親類の確認に利府町へ、女川町の陸で発見されれば女川町の総合運動公園に安置され、海上での発見となれば利府町にある、グランデ・スーパーアリーナに安置されている。女川町で津波に流された人が金華山や網地島沖まで流されて見つかった人もいるらしく、その方はみな、利府町まで運ばれているがこの日も見つからなかった。
風呂に入り、TVを見ながらビールを飲みそろそろ寝るべと言う時の大きな地震。
台所の食器が飛び出割れる音、慌てる一番上の義姉と妻、激しい縦揺れの中、テレビを押さえながらNHKに切り変えたと同時に停電になった。
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