ニッコウイワナ.COM

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日光市男鹿高原の天然のイワナ達になったつもりで、、、一言。

Never Forget3.11 ONAGAWA

5月 29th, 2011

 震災から55日が過ぎた4月25日(月)の女川町の風景

 

中心部に入る浦宿、石巻線高架橋から直進する女川街道は荒立、丸山町付近の自衛隊による捜索のために一般車両は女川バイパスに迂回されていた。

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5月 26th, 2011

 昨日女川から戻り、石巻、女川に7往復目。 

 

1ヶ月前の記録に戻し、4月24日(日)震災から44日目、この日津波の犠牲となり、仮埋葬となった義姉の火葬が行なわれた。

 

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5月 22nd, 2011

 再び女川・石巻に行ってきます。

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5月 15th, 2011

 震災後情報が途絶え特に少なかった女川町の情報が1ヵ月を経た4月中旬になってメディアに多く上がり始めてきた。

 

この頃、どう言う状態で女川の街を津波が襲って来たのか探していた。同じ映像が繰り返し放送されていた中、唯一見つけた女川の様子である。

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5月 11th, 2011

 

 今日5月11日で震災から2ヶ月が過ぎようとしている。

さまざまな思いを振り返り、回想しながら震災1ヶ月目から遅れて書きはじめいるこのページ。

季節が進み日常が戻りながらも2ヶ月では日常が戻らない現実。

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5月 7th, 2011

 4月7日(木)震災27日目、23時32分、携帯電話の緊急地震速報が鳴り、同時にTVで地震速報が、と、同時に「ゴー」と言う地鳴りが聞こえ「ドーン」と突き上げる大きな縦揺れが襲ってきた。

妻の兄弟が集まる石巻の実家、亡き妻の父の火葬を済ませ、昨日に続き、この日も親戚が避難する女川町の避難所へ行き、そして未だ見つからぬ親類の確認に利府町へ、女川町の陸で発見されれば女川町の総合運動公園に安置され、海上での発見となれば利府町にある、グランデ・スーパーアリーナに安置されている。女川町で津波に流された人が金華山や網地島沖まで流されて見つかった人もいるらしく、その方はみな、利府町まで運ばれているがこの日も見つからなかった。

風呂に入り、TVを見ながらビールを飲みそろそろ寝るべと言う時の大きな地震。

台所の食器が飛び出割れる音、慌てる一番上の義姉と妻、激しい縦揺れの中、テレビを押さえながらNHKに切り変えたと同時に停電になった。

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5月 5th, 2011

 

4月5日(火)震災25日目、亡き義父を荼毘に臥す時間が夕方5時から、普通なら夕方火葬と言う事は有りえないが、震災の犠牲者を1人でも多く埋葬する為に、火葬場も朝早くから遅くまで対応していた。ただ、葬儀はお寺さんもお坊さんも手一杯で四十九日を迎える日に葬式となる事となった。

義父の荼毘へ臥す時間まで、義姉の娘を乗せ自宅の後を見に女川へ向かった。

本人も母親との突然の別れで、とても自宅跡を見る気にもなれず、少しずつではあるが現実を確認する気持ちにもなったのであろう。

あえて表向きは明るく「宝さがしに行こう~」と言う乗りで、皆で女川へ。

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5月 4th, 2011

 4月4日(月)震災24日目、妻が始めて声を上げて泣いている。

昨日3日深夜、石巻に住む義弟より義父の訃報の知らせがあり、急遽石巻の実家へ。

石巻の実家は目の前まで津波が押し寄せながらも、大きな被害にはならずに済んだ。

義父は震災時、介護施設で震災に遭い、高台に有る施設である事から津波の被害に遭うことなく、その後の安否確認が出来ないながら11日後、亡き義姉の知らせと同時に義父の確認が取れ、つい先日支援物資を届け逢って来たばかりの出来事。

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4月 30th, 2011

 

 

震災後「がんばれ」と言う言葉を多く聞き、目にする。

「がんばろう東北」「がんばっぺ○○」。

「がんば」とは、実に都合のいい言葉であり難しい日本語だと思った。

このブログをリセットして、新たに書き始めた最初に被災地での復興と言う言葉でごしゃかられた(怒られた)事を書いたがこれに続く今、直接の被害者でもない人に言われてたくない言葉が「がんばろう」と言う言葉だ。

今の状況下では「ガンバ」とい言う言葉は、被災者が被災者に対し応援の意味を込めてお互いを励ます言葉であると思ってる。被災者でもない人が「がんばろう」とか「がばっぺ」と言うのは正直「どうガンバレと・・・・」具体的に言ってくれと、言いたくなる。

まさしく口先だけで「頑張れ」と言って自分に酔っいる人にしか見えてこない。

もちろん何も出来ないもどかしさから出てくる言葉である事は、わかってはいるのだが。

正直、「がんばろう」と言う言葉が今は嫌いだ。

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4月 28th, 2011

   3月28日(月)震災17日目、この日女川町では2回目の震災犠牲者の仮埋葬が行なわれた。

女川町鷲神公園内仮土葬場、コバルトラインを上がった女川町が見渡せる静かな場所だった。

高台の公園から見渡す女川の街は何時もの穏やかなで平穏な街はなく、壊滅的になった瓦礫の街が見えていた。

荼毘に付す事も出来ず仮埋葬になる義姉。

 朝から営まれる震災の犠牲者たちの土葬。仮の墓地とされた丘からは津波で壊滅的になった港町が一望できる=宮城県女川町で2011年3月28日午前10時26分、山本晋撮影(毎日jp)

 

 

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